店長のお話

元消防士の便利屋さんが消防署で学んだこと / 町の便利屋さんファミリー日野店

どーも店長です。
お客さんの中には「もともとどんな仕事してたの?」と聞かれる方がいるので、ホームページに書いておこうと思います。今回は消防署編。

消防署で社会人の基礎を学ぶ

社会に出ればいわゆる「常識」と思われていることを叩き込まれたのが消防署という組織でした。起床時間、就寝時間、所作の統一、服装や身だしなみ、髪型に至るまで全てに介入され、半分軍隊のような環境で消防学校を過ごします。卒業後は各消防署に配属され、基本的にはOJTで「先輩や上司の命令は絶対」的な環境の中過ごすことになります。

疑問に思っても「まずはやってみる」を求められ、できない場合は「できる方法を考える」ことを求められます。これは社会人として前に進むために大切な考え方だったなと思います。今でもすごく役に立っていると思います。

今の仕事に役に立っていること

実は今の仕事にとっても役に立つことをたくさん経験しました。
例えば、雨樋の補修やお掃除をする際には、3連はしごを使用し2階の屋根付近で活動します。はしごは7年間毎日のように触っていたため、安全に活動することができます。


例えば、引越し作業の際など数cm単位で車の位置を調整しなければならない場合も、救急車に乗るために運転の訓練をしたおかげで調整することができます。
例えば、工具の扱いも「諸元・性能」と呼ばれる道具のスペックを理解して使用することを教え込まれるので、安全に作業することができます。
例えば、イベントの仕事の際にテントを固定したりトラックに積載する際に固定するためにロープワークが必要な場面がありますが、ロープも基本が理解できてるので苦労することはありません。
例えば、介護や介助が必要な方が地面から起き上がれない場合も、救急隊で体の動かし方がわかっているので、負担をかけることなく起こすことができます。
例えば、家事代行でごはんを作って欲しいと言われても、消防署で最大30人分近くを同時に作っていたのでクックパッドを見れば大体作れます。

などなど、具体的に様々な場面で消防署で学んだことを便利屋さん業で活用しています。

消防署を辞めた理由

18歳で入庁し25歳まで7年間消防署に勤めました。もう今から12年も前のことです。
給与も働いている分はしっかりと入ってくるし、福利厚生も充実、休みも多いし、会社には仲間ができるとてもいい仕事だったと思います。しかし、当時の私には窮屈でした。
まだ25歳。他の社会を見たことがない私は、当時すごい勢いで普及し始めたiPhoneを手に取って、時代のスピード感と職場のスピード感にものすごいギャップを覚え危機感を感じ始めました。「このままでいいのだろうか・・」と思った時には退職願を出していました。

今思えば時代はそんなに急には変わらないし、公務員の働き方なんてそうそう変わらないんですが笑、半分飽きていたのも事実。まだまだ新しい可能性を求めて辞めることになります。
また若干ネガティブな側面を話すと、当時非常に合格が難しかった火災調査(警察の鑑識のようなイメージ)の資格を取ったのですが、専門分野を伸ばしたい私の気持ちとは裏腹に、組織の人事は人が足りないポジションへの変更を命じました。組織が大きすぎるが故にやりたいことをやれるようになるまでには膨大な時間がかかることや、仮にそのポジションになったとしてもすぐに人事で異動させられる可能性も感じてしまいました。それなら自分がやりたいことをやろうという気持ちに拍車をかけたのも事実としてあります。

まとめ

今回は私が消防署で学び現在の仕事で活用していることや、なぜ安定した公務員をやめたのかについて書いてみました。常に新しい技術や情報、ガジェットなどを好む私にとっては、少し窮屈だったように思います。ただ、当時消防署で学んだことは今もものすごく活きているし、社会人の基礎を学んだという意味ではとてもありがたかったお仕事でした。

私には合わなかったですが、とても良い職場だったと思います。今でもたまにアルバイトに来てくれる子が消防署で働きたいとか耳にしますが、「まずはやってみる」のがいいと思います。やってみないと合うか合わないかはわかりません。合わなかったら辞めて合う仕事を見つければいいと思います。みんながんばろう。

馬場 保孝

馬場 保孝

東京日野市の便利屋さんです。お気軽にご相談ください。

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